ゲームぐらし

ゲームソフト、ゲーム機種などを
まとめ記事にして投稿していきます!

    ファミコン



    1 風吹けば名無し:2023/02/21(火) 13:49:43.26 ID:eETzawmL0.net BE:811571704-2BP(2072)

    いまから37年前の1986年(昭和61年)2月21日は、ファミリーコンピュータ ディスクシステムが発売された日。

     ディスクシステムはファミリーコンピュータ用の周辺機器のひとつ。
    ディスクシステム本体の上にファミコン本体を載せ、カセットの代わりに“RAMアダプタ”をセットして使用する。
    専用の磁気ディスクメディアである“ディスクカード”をディスクシステム本体に挿入し、記録されたデータを読み込むことでゲームがプレイできた。

    https://www.famitsu.com/images/000/293/115/y_5e4e39d95c311.webp


    (出典 www.famitsu.com)



    【【ゲーム雑談】ファミコン「ディスクシステムっていう周辺機器があってねぇ…」←こいつ】の続きを読む



    1 鳥獣戯画 ★ :2021/12/04(土) 21:42:52.68 ID:CAP_USER.net

    どうして「ぼうけんのしょ」は消えてしまったのでしょうか? 
    何となく「内蔵電池」が関連していることは知っている人は多いはず。
    この記事では具体的な仕組みについて平易に解説します。

    現在の10代、下手すれば20代前半の方々には通じない話になりつつありますが、ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)ソフトに保存されたセーブデータは、やわなものだったのです。

     その代表例が「ドラゴンクエスト」シリーズにおける「ぼうけんのしょ」でしょう。
    このセーブシステムは『III』で実装されました。
    不吉な旋律とともに「おきのどくですが……」とセーブデータの消失を宣告されたとき、誰もが涙を流したでしょう。

    「ぼうけんのしょ」が消えたとき、カセットの中で何が起きていたのでしょうか。

    ●なんとなく「電池のバッテリーがどうのこうの」は知っているが…
     こうした疑問に対して「ソフト内の内蔵電池のバッテリーが切れたから」という、ふんわりした情報でお茶を濁してきた方も多いのではないでしょうか。
    長年の疑問を解消すべく、改めてファミコンにおける「セーブ」の仕組みをおさらいしましょう。

     そもそも発売当初のファミコンは「セーブ」という概念がありませんでした。
    『ドラクエ』といった長期にわたって遊べるソフトを予定していなかったのです。
    それゆえ『ドラクエ』も『II』までは入力認証式の「ふっかつのじゅもん」が採用されていました。

     1987年に『森田将棋』がファミコン用ソフトでは初となるセーブ可能なゲームとして登場。
    このとき採ったのが「バッテリーバックアップ」という方法でした。
    「バッテリーバックアップ」とはソフト内にあるSRAMと呼ばれる記録メディアに電気を供給し続け、データを維持する方法のこと。
    このSRAMは電気を失うとデータを消失してしまう一時的なもの。
    そこで活躍するのが内蔵電池(バッテリー)です。
    この電池がSRAMに電気を供給し続けることで「ぼうけんのしょ」は延命されていたのです。
    しかし「電池」には必ず寿命がきます。
    やがて電池が切れてしまうと……「おきのどくですが……」となったのです。
    なお賢明なファミコンプレイヤーはこのシステムを理解していたためメーカーに電池を定期的に交換してもらっていたようです。

    ●なんで「りせっとぼたんをおしながら」だったの?
    「ぼうけんのしょ」が消えてしまうもうひとつの理由に、コンピュータの頭脳であり制御装置であるCPUの誤作動が挙げられます。
    電源を切った際、急にCPUの電圧が下がることで前述の記録メディアSRAMを破損させてしまう恐れがあったのです。
    この誤作動をおさえるために行っていたのが「リセットボタンを押しながら電源を消す」でした。
    リセットボタンを押している最中はCPUの動作が停止するので、データの破損を防ぐことができた、というわけだったのです。

    「ぼうけんのしょ」はなぜ消えてしまったのか。
    その答えは調べてみると実にシンプルでした。
    なお今からソフトのバッテリー交換をする際は、自力ではなくプロにお願いすることを強くお勧めします。



    【【考察】ファミコンで「ぼうけんの書」が消える理由 ついに判明してしまうwww】の続きを読む



    1 jinjin ★ :2023/02/27(月) 23:42:37.62 ID:Uy+PqgyF9.net

    クソゲー?名作?「賛否が分かれた」有名ファミコンゲーム4選


    世の中には、さまざまなゲームが溢れ返っています。
    しかし、そのどれもが面白いかと問われると、明確な答えは出せません。

    出来の良さに差があるのはもちろんですが、1本のゲームに絞って見た時でさえ、人によって評価が分かれるためです。


    それでも多くの場合で、好評か不評かのいずれかに傾きやすいもの。
    しかし、なかには「クソゲー」と断じる人もいる一方で、「面白い」と受け取るファンも少なくない─そんなゲームも存在します。

    ファミコン時代は、果たしてどんなゲームが「クソゲー」と「名作」の間で揺れていたのか。


    ●ファミコンで高難易度と言えば『魔界村』!

    よく意見が分かれていたのは、横スクロールアクションの『魔界村』です。
    囚われた姫を救うため、鎧に身を包んだ騎士が魔王に挑む本作は、まずアーケード向けに展開。
    そこからファミコンに移植され、家で『魔界村』が遊べると喜びの声が上がります

    しかしその声は、ほどなくして悲鳴と絶望のうめき声へと変貌。
    ファミコンへの移植なのでグラフィックの面で見劣りするのはやむを得ない話ですが、アクションのキモであるゲームバランスに難点があったのです。

    その顕著な例として、中ボス的な存在「レッドアリーマー」との戦いが挙げられます。
    こいつは空を飛び、遠距離から弾を吐いたと思ったら急降下で体当たりを行うなど、かなりやりにくい強敵。ここでゲームオーバーを迎えるプレイヤーが続出しました。

    アーケード版はちょっとした操作で武器を連射するテクニックがあり、その技はレッドアリーマーにも有効でした。
    しかし、ファミコン版では挙動が変更され、その結果「レッドアリーマー」に真っ向勝負を挑む羽目になります。

    しかも「レッドアリーマー」と最初に戦うのは、1面の途中。序盤の道中に過ぎず、1面のボスよりも遥かに手前です。 難しいゲームはたくさんあるものの、1面中盤で難易度が跳ね上がるのは、かなりのハイペース。
    ゲームに慣れるよりも早くやられてしまうので、不満に感じるのも無理はありません。

    このほかにも、移植の関係でアーケード版から難しくなった箇所があったり、さらに2周クリアしないと真のエンディングにたどり着けないなど、厳しい面が多数。こ
    うした点から、『魔界村』をクソゲーと判断する人もいました。

    ですが、ファミコンへの移植に合わせた調整が施されている箇所もあり、当時多かった無頓着な移植とは少々異なります。
    また、「レッドアリーマー」が強敵なのは事実ですが、もちろんちゃんと倒せるので、決して理不尽なわけではありません。そのため、意見が分かれやすいゲームとなりました。


    ●『燃えろ!!プロ野球』は、リアルな見た目でトンデモ野球!? 

    当時、野球人気は高く、TV中継も頻繁に行われていました。
    そのため、ファミコン最初期に登場した『ベースボール』や、定番となった『ファミスタ』など、野球を題材としたゲームも多数登場しています。

    そんな野球ゲームのひとつ『燃えろ!!プロ野球』は、しかし一味違う異彩を放っていました。
    まず見た目も大きく変わっており、当時のゲームに多かった打者視点ではなく、TV中継と同じアングルの投手視点を採用。
    臨場感の向上だけでなく、投球の高低差も表現しやすくなり、ゲーム性にも影響を与えました。

    しかし、リアルな表現を実現させながらも、ゲーム自体に色々な「トンデモ」が潜んでいました。
    そのなかでも、「バントホームラン」はその代表格。
    内容は至ってシンプルで、バント状態で構えたバットにボールが当たっただけで、そのままホームランになってしまう、という珍現象です。

    バントホームランが可能な選手は限られていますが、構えたままのバットに当たったボールが、そのままフェンスを越えていく様は驚きの一言。
    一見リアルなビジュアルなのに、実体はトンデモ野球だった『燃えろ!!プロ野球』。本格野球派からはクソゲーと認識されつつも、これはこれで面白いと支持するファンも少なくありません。


    https://news.yahoo.co.jp/articles/3ed95b23a97e87e66b0d0b5fc1fe3519139db979?page=1

    >>2以降に続く

    【【ゲーム雑談】クソゲーなのか名作なのか 賛否が分かれたファミコンのゲームたち】の続きを読む



    1 名無しさん@恐縮です:2023/02/22(水) 10:49:38.58 ID:gDKbomB09.net

    マグミクス 2023.02.21

    2023年で発売40周年を迎える「ファミコン」。その性能は、いったいどれほどのものだったのでしょうか? 現代機と比較しながら、当時のゲーム開発の工夫も併せてご紹介します。

    「たったそれだけ?」の容量で、何十時間も遊べるゲームが作られた

    初代『ドラゴンクエスト』でキャラが常に前を向いていたのも理由が…

     1983年に発売され、2023年で40周年を迎える「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」。日本中を夢中にしたゲーム機ですが、そのスペックはどれほどのものだったのでしょうか? 現代のゲーム機・スマートフォンと比較しながら、当時のゲーム開発における数々の工夫もご紹介します。

    ●現代のゲーム機と比べると2000倍近くの差が
     1983年に発売された家庭用ゲームとして、ファミコンは圧倒的な高性能でした。当時、ファミコンに採用されていたのは、リコー製の「2A03」というCPUです。『スーパーマリオブラザーズ』『ドンキーコング』などは、アーケードゲームと比較してもそん色ないレベルでプレイすることができました。


     その性能の指標のひとつであるCPUのクロック数は、1.79メガヘルツでした。これを現代のゲーム機と比較してみると……「PlayStation 5」のCPUは3.5ギガヘルツ。また、iPhone14に搭載されているCPUは3.23ギガヘルツ。単純にこの数値だけを比較してみると、ざっくり2000倍近くもの差があるのです。

     当然ながら、ソフトの容量にも大変な違いがあります。ファミコンで最大の容量を持ったソフトは、1991年発売の『メタルスレイダーグローリー』。製作期間は4年以上という大作で、容量はファミコン唯一の1メガバイト(8メガビット)を誇ります。

     しかし、現代人からすると「それだけ?」というレベルの容量です。たとえば、スマートフォンで撮影された写真の容量は、たった1枚で1~4メガバイト。ファミコン最大の『メタルスレイダーグローリー』でさえ、写真1枚の数分の1のサイズしかありません。もっと言えば、ファミコン初期に発売された『スーパーマリオブラザーズ』の容量は40キロバイト。写真1枚の数十分の1です。

     これほど少ない容量のなかで、何時間も遊べるアクションゲームや、重厚なRPGを作っていたとは驚きです。しかしながら、当時のゲーム開発では、限られた容量で面白さを追求するため、数々の工夫が凝らされていました。

    ファミコンソフト開発は容量との戦い

    ●『ドラゴンクエスト』も容量に悩まされながら開発
     たとえば、初代『ドラゴンクエスト』(容量:64キロバイト)の場合、キャラクターは常に前を向いた状態で描画されていました。「カニ歩き」と呼ばれることもありましたが、容量節約のためには仕方のない仕様だったのです。

    ※続きはリンク先で
    https://magmix.jp/post/138844

    (出典 i.imgur.com)

    子供たちが夢中になった、使い古されたファミコン

    (出典 i.imgur.com)


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    1 名無しさん@恐縮です:2023/02/21(火) 12:28:02.13 ID:JwPqGtCM9.net

    2023年はファミリーコンピュータの発売から、ちょうど40周年に当たります。ファミコン初期の時代からブームの沸騰、やがて衰退し、次世代ゲーム機に役目を譲るまで経験した筆者が、当時の思い出を語ります。今回は第4回目、『ドラクエIVで』の発売から振り返ります。

    スーパーファミコンの足音

    役目を終えたファミコン。TVへの接続は大人でも難易度が高かった(マグミクス編集部撮影)

     1983年7月15日に発売され、2023年で発売から40周年を迎えるファミコンは、日本国内で1935万台、世界で6191万台を売り上げ、家庭用ゲーム機文化の浸透に大きな貢献を果たしました。そんなファミコンの歴史について、筆者の個人的な記憶に基づいて振り返ってみようと思います。今回は『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』の発売から、ファミコンがその役目を終えるまでを語ります。

     1990年2月11日、絶大な期待の元に『ドラクエIV』が発売されました。この頃には子供たちのなかにも「カセットは予約して買う」文化がある程度定着しており、『II』や『III』のときほどの混乱はなかったように思います。これは堀井雄二氏が『III』のときに発生した「抱き合わせ商法」の再発を憂慮し、多めの本数を用意していたためと思われます。ですが、抱き合わせ自体は行われており、卸売業者であった藤田屋が独占禁止法第19条に抵触したとして違反に問われています。結果、抱き合わせ商法はいちおう姿を消すこととなりました。

    『ドラクエIV』自体は歴史に残る傑作として大変に楽しめるタイトルでしたが、6月に「スーパーファミコン」の発売が迫っており、子供たちのなかに「そろそろファミコンは終わりかな?」という雰囲気が漂い始めていた時期ではありました。子供にとって流行りすたりと言うものは、大人が感じる以上に敏感なものなのです。

     それでも1990年3月の時点で1460万台を出荷している圧倒的な普及台数と、ファミコンの仕様を知り尽くしたクリエイターたちにより、傑作が次々と世に送り出されました。

     1990年を代表するタイトルはいくつもありますが、なかでも傑出していたのが『ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣』でしょう。「ファ~イア~エームブレム てーごわい シュミレ~ション」というオペラ調の歌が流れたTVCMは、今でも忘れられません。その後も膨大な数のタイトルが世に送り出され、2023年1月には最新作『ファイアーエムブレム エンゲージ』が登場している人気シリーズの第一作として燦然たる輝きを放っています。

    ※続きはリンク先で
    https://magmix.jp/post/134839

    (出典 i.imgur.com)


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